教員ママの!勝手に!滑川町改造計画

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教員ママの野望と活動と子育ての記録。滑川町のためにできること…?

子どもに『ジェンダー』を植え付けないために…?~追記

ジェンダーとは…?

ジェンダーとは社会的性差のことである。
女の子らしさ、男の子らしさなど、社会的につくられる性別。
子供服やおもちゃにはジェンダーがよく取り入れられている。
女の子だから、ピンク。男の子だから、ブルー…。
女の子はスカート、男の子はズボン…。

ジェンダーレスの子ども服を探してみると、
黄色や緑色なども少ないながらにはある。
ジェンダーレスというと、ファッション・メイクなどの方面で
使われることが多くなったように感じる。
国語辞典でのジェンダーレスは
社会的・文化的な男女の区別がないこと

私は、男の子でも女の子でも関係なく、
「自分の好きな色を選ぶ」ことが大事だと思う。
男の子でも女の子でも、ピンクが着たければ着て良い。

ジェンダーを意識する場所

自分が学校で働いておいて大きな声では言えないが、
『幼稚園』や『学校』などはジェンダーを、
特別、意識する場だと思えてしまう。

ウチの子どもは小さいころ、まだ自分で服を選ばない頃から
黄色や緑や水色やピンクなど、何色でも着せてきた。
私がかわいいと思えば男の子の服であっても構わず着せた。
1~3才の頃の娘は、水色が好きだった。

それが幼稚園に行ったとたんに
「○○ちゃん(自分の名前)は女の子だからピンクにして」と
言うようになった。私は、その返事に
「女の子だからじゃなくて、ピンクが良いならピンクで良いよ。」
「女の子だからとか男の子だからとかじゃなくて、
自分の好きな色で良いんだよ」と答えた。

集団で生活する場、特に学校などは
出席番号が男女別のところも多く、男女別に行動することもある。
トイレや体育など、体の違いによって分ける必要がある部分は
もちろん男女別にしなければならないと思うが、
それ以外に関して、男女に違いはないのに
学校はなぜか男女で分けたがる。
半々にしやすいからか?例年のことだからか?
自分も教員の端くれとして、
なかなかこの部分に切り込めないことを反省している…。
学校が変わるには、教員全体の意識を変えることが
必要となるであろう…。

子どもが大きくなってくれば、さらにジェンダーを意識する。
例えば、小学校高学年にもなると、男の子が、
女の子とも一緒に遊びたいのに、女の子と遊ぶとからかわれたり、
最悪の場合、いじめられることもある。

女子と遊ぶことが目的ではなく、絵を書いたり、あやとりしたり、
おしゃべりしたり…何でも良いのだが、遊ぶ相手に女子が多いと
その中に一人男子がいるだけで、“異質”とみなされる。
子どもの世界は、学校がすべてで、そこから外れると
「自分は必要のない存在」と考える子どももいる。
友達の輪から外れないように、別の自分を演じることもあるだろう。
子どもは『生きているだけで、かけがえのない存在』なのに!

性別に関係なく、あなたが大好き

ジェンダーについてしっかりと学んだわけではないので、
間違っているところもあるかもしれないが…。
ジェンダーを植え付けないためにしていることを挙げてみる。

洋服は、本人が選ばない場合は、私がかわいいと思うもの、
男の子用・女の子用関係なく、私の好みで選んでいる。
上の子は、大きくなってきたので(と言っても年中)
レースのフリフリを着たがるようになった。
その場合、動きやすさなども考慮して、上の子と話し合って選ぶ。
1つはママが選んで、もう1つは本人が選ぶ…など。

あと、自分の子どもの名前を、
男の子でも女の子でもどっちでも呼べる名前にした。
胎児のとき、性別が分かる前から名づけて、今に至る。
もし流産してしまった場合にも、名前があったら
その子は確実にウチの子どもとして存在したのだと思えるから。

将来、大人になった時に、体の性別と心の性別が違っても
性転換手術をしても、呼べるジェンダーレスな名前だと思う。
性別に関係なく、“あなた”は、大切な“あなた”だと思いを込めて。

本人が望めば、性転換も全然かまわない。
「ちんちんいいな~(←立ちション(失礼)がしたいようだ。笑)」と
上の子が言ってくるときもあったが、こう答えた。
「大人になって、○○が本当に男の子になりたかったら、
なって良いよ。ちんちんつけられるよ。」と。
だからウチの子どもたちは性別は選べると思っている。

最後に…

先日、ウチのパパと上の子がおしゃべりしていて、
子どもが「●●と結婚する」と言った時に、
「誰と結婚しても良いんだよ。女の子と女の子でも結婚できるよ」
と返事をしていて驚いた。パパと同じ認識だったからだ。

私も、子どもの結婚相手に性別は問わない。
本人が希望しないなら、結婚しなくても良い。
でも、子どもには誰かパートナーと呼べる相手が
居てくれれば良いなと思う。
大人になっても、親が死んでも、一人にならずにすむように。
困ったとき、苦しいときに支えてくれる人が居るように。
どんな時でも自分の味方と思えるパートナーが
居てくれればいいな、と思う。

ここまで書いてきてやっぱり思うのはこれだ。

性別に関係なく!!
どうか全ての子どもたちに幸せになってほしい!

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昨日、公園でおばあちゃんと一緒の男の子兄弟に会った。
その弟が転んで泣いていると、おばあちゃんが
「男の子が泣くんじゃないよ、恥ずかしいよ」と言っていた。
それでも泣き止まない男の子…。

『男の子は泣いてはいけない、女の子は泣いても良い』という
考え方も立派な社会的性差・ジェンダーだ。
痛みに男女は関係ない。大人も子どもも痛いときは痛い。
特に男子の方が痛みやストレスに弱いというデータもあるほど。

男の子だからこそ、逞しくなってほしいというおばあちゃんの
気持ちはわかるが、それを子どもに押し付けてしまうと
子どもの気持ちに、逃げ場がなくなってしまう。
「痛かった」という気持ちを受け止めてあげてほしい。
泣きたかったら、男の子だろうと女の子だろうと泣いて良い。
こう思うのは間違いだろうか。

男の子らしさ、女の子らしさを除いて
『その子らしさ』を大切にしてあげたい。

このとき、ウチのパパも一緒に見ていて
「まぁその家庭によって教育方針もあるから~…」と
言っていた。まぁ、それはそうなんだけどね!

                  2018・11・19追記