教員ママの!勝手に!滑川町改造計画

教員ママの!勝手に!滑川町改造計画

教員ママの野望と活動と子育ての記録。

生きた声を聴く!0歳児・3歳児を連れての母子避難、その①

3.11から8年、被災した方の生の声を聴く

先日、滑川町の古民家ギャラリーかぐやで
東日本大震災避難者の会Thanks&Dream』の
代表、森松明希子さんの講演会があった。

8年前、私は前橋の高校に勤務していていた。
ガソリンがなくなったり、計画停電があったり
その時はその時で大変だったけど、まだ独身で
子どももいなかったからそれなりに生活できた。

子どもがいる、今、この講演会を聞いて
子どもを抱えて被災することの怖さを感じた。
自分の無知を恥ずかしいと思った。
もっと早く、被災された方の本を読んだり
東日本大震災のことを学ぶべきだったと思った。
今回、この講演会で生の声を聞けて良かった。
講演会を通して私が学んだこと・感じたことを書く。

フクシマは被ばくだ。
復興オリンピックとか言うけど…
まだ、たった8年だった!!

『汚染された水』を飲む覚悟…

森松さんは、福島県郡山市の自宅マンションで
0歳と3歳が一緒にいるときに被災されたという。
マンション(8階だったかな?)だが、
水浸しで自宅にはいられず、
近所のパチンコ店がトイレを貸してくれたり
保育所が(園児引き渡し後)開放してくれたり
地域で助け合っていたそうだ。

その日の深夜、旦那さんと合流した際に
車のラジオで初めて津波が来たことを知ったという。
その後は、旦那さんの勤める大きな病院に避難。
大きな病院は、停電しない!
現地では、震災の情報がほとんど得られないが
病院のテレビではニュースが見られた!そして
病院のテレビで原発事故を知ることになる…。

被災しても、子どもはお腹がへる。
病院では水も出たので0歳児の母乳が確保できた
3歳児の分は、病院の検食(旦那さんの分)や
入院患者さんからの差し入れだったそうだ。
おむつは、タオルとビニール袋で代用。
布オムツのように洗って使ったという。

 そんな中…3月下旬、福島から200㎞離れた
東京の金町浄水場で、
放射線物質が検出された
ニュースになった。
ニュースはさらに、乳幼児のいる方に対して、
水道水を飲むことを控えるように促し、
各地域でペットボトルの『赤ちゃん水』が配られた。

東京で、水道水が汚染されているということは、
もっと上流の福島で汚染されていることは明確だ。
森松さんは、苦渋の決断をするしかなかった。

汚染された水道水を飲むということ。
内部被ばくを確実にする、水を飲むということ。
それはつまり、森松さんが飲んだ水道水が
0歳児に与える母乳をも汚染してしまうということ。

道路が閉鎖されていて福島から逃げられない現実
母乳を飲まなければ、赤ちゃんは生きられない現実。 
子どもに、内部被ばくをさせてしまうという現実
森松さんは旦那さんとも相談して、母乳を与えた。

その後、森松さんは、2011年5月に
0歳児と3歳児を連れて大阪市に母子避難する。
避難生活はまだ続いているのだ。

その②へ続く…

福島原発大惨事』の情報を何も知らされないまま
国民と、子どもたちは被ばくさせられた。
知る権利が侵され、健康に生きる権利も侵された。

国は何の対策もしないまま、
原子力発電所を動かし始めている
福島から遠く離れた、九州から…。
現実の距離は、心の距離だ。
汚染された、被ばくさせられた実感が少ない。

汚染されたと分かっている母乳をあげたい母親が
この世にいるだろうか。
自分よりも大事な子どもを被ばくさせてしまう辛さは
子どもを生んだ今だからこそ、理解できる。
もっと早く学ぶべきだった。

長くなってしまったので、次回につづく。
その②では、避難する権利と、
学校教育と放射能の2本立てで書こうかな。

森松さんの本はこちら↓

母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで

母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで

 

東日本大震災被災者の会Thanks&Dreamのページは↓

sandori2014.blog.fc2.com