教員ママの!勝手に!滑川町改造計画

教員ママの!勝手に!滑川町改造計画

教員ママの野望と活動と子育ての記録。

今こそ憲法を学ぶ① ~子どもたちの未来を守るために

白い馬保育園のイベント『憲法カフェ』

ママ友からのオススメ情報として
憲法カフェ』が開かれるというので
滑川町の福田地区にある『白い馬保育園』に電話した。
この保育園に通っていなくても講演会に参加でき、
子どもも別室で預かってくれるという。
おかし&コーヒー付きで大人400円で参加できる。

12日(土)、初めて、白い馬保育園に行ってみた。
H30年度の子どもの保育園探しの際、もう満員で
保育園の見学もできなかったから、楽しみにしていた。
丘?の上に園舎があり、丘から芝生がしかれていて、
子どもたちが外でたくさん遊べるようだ。
園舎は木を活かした作りになっており
階段の横に滑り台がある。ウチの子たちは大はしゃぎ!

お客さんは50人くらいか…?年配の方も多かったが、
子育て世代のママさん・パパさんも多く参加していた。
ここの園児の保護者の方・来賓の方も多かったようだ。
子どもも20人くらいは居たかと思う。
学童の子どもたちは、講演会を一緒に聞くらしい。
保育園の先生方に子どもたちを預けて
職員の先生方による歌の発表(ロシア民謡)のあと、
いよいよ講演会が始まった。
講演会の先生は、ママさん弁護士の竪十萌子さん。
楽しく、非常に勉強になる講演だった。

日本国憲法は、日本で一番偉い法律である。
憲法の下に、政府の作る様々な法律がある。
小学校で一番に学ぶ『ひらがな』と同じように、
日本人の基礎・ベースになっているはずなのに
知らないことが多いのは、学校で学ばないからだという。

これは自分の意見になるが、多くの人が中学3年の公民、
高校で選択する現代社会等?で憲法は学んでいるハズである。
たが、なかなか他人事で、『自分の基礎』と認識しないまま
過ぎてしまうことに原因があるのではないかと、私は思う。
私も他人事で、今までそんなに憲法に興味がなかったが
この講演会を聞いて『自分のこと』『子どものこと』と
とらえなおした。紹介してくれたママ友に感謝だ。
この講演会で、私が学んだことを書いていく。

憲法=政府が勝手なことをしないようにする『鎖』

日本国憲法は、戦争のあと、二度と戦争しないようにする
ためにつくられた法律である。戦争しないことが目的。
憲法で一番大切なことは、国よりも個人が尊重されること。

では、この法律は誰が守らなくてはいけないか?
国家権力である。つまり、天皇国務大臣・国会議員
裁判官・公務員(警察も!)…
国会議員である安倍総理も守らなくてはならない法律だ。
政府が勝手なことをして、戦争を起こすことのないように
政府が勝手なことをして、国民を貶めることのないように
国民一人ひとりを尊重するための『鎖(別名;檻)』=憲法だ。

日本は戦争をしないために憲法を作ったから、憲法には、
国民が戦争したいなんて全く思わなくて済むよう
さまざまな配慮がなされているという。

戦争の原因=貧困や格差、教育、宗教、全体主義を考えると
貧困にならないように、生存権生活保護法。
格差を感じないように、法の下の平等。男女も平等。
適切な教育を受けられるように、
教育を受ける権利と学問の自由。宗教の自由…。
戦争につながる全体主義「お国のために」ではなく、
国民は「自分のために」幸福追求権と個人の尊重がある。
『国<個人』だと一番強い憲法が言っている。
一人ひとりを大事にして、みんなが幸せになれれば、
戦争なんて確かに考えはしない。
国民にとっては良いこと尽くしの憲法だと思う。

一人一人を大事にするために、国民には
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。
国はそのために社会福祉社会保障等を向上・増進に
努める義務がある。
これを具体化したものが『生活保護法』だ。
生活保護費は、近年下げられた。政府は、うっかり本音
「働いて稼いだ給与よりも、生活保護費が高いから」と
言ったらしい。低賃金の人よりさらに貧しい人を作って
カモフラージュする。えたひにん制度のようだ。

これは生活保護を受けている人だけの問題ではない。
最低労働賃金や年金等の『基準』になるのも生活保護費。
生活保護費が下げられた=労働賃金の引き下げ=
年金の引き下げ=人が生きる価値が低くなるということ
国民が政府に軽く見られたということ
=政府が国民を貶めたということ!!
国は、社会的使命を負う義務を放棄している。

国民の自由がどんどん奪われる社会=日本

国民からみたら良いことばっかりの憲法なのに、
この法律を変えたい人は誰か?=権力者だ。安倍総理だ。
憲法という『鎖』で縛られている張本人が
鎖を外して、自由に勝手にさせてくれと言っている。
権力者からみたら、個人の尊重なんてものよりも
お国のために死ねる便利な国民が良いのではないか?

実際、憲法違反の法律をどんどん作っているそうだ。
特定機密保護法、安保法制(集団的自衛権容認)、
共謀罪(テロ等準備罪)など…も憲法違反だという。
本来の憲法では、思想の自由が認められており、
頭の中は『何を』考えていても良かった。
しかしテロ等準備罪では、考えただけでアウト!
言ったらもっとアウト!言論の自由さえ奪われる。。。
普通の人には関係ない法律だと聞いていたが…これでは
日本から、どんどん自由が奪われることになると思う。
さらに武器輸出禁止三原則が2014年にいつの間にか
廃止されていた。私は不勉強で全然知らなかった…。

現政権のように、憲法は違反しても、罰則はないという。
逮捕されない。通常なら、
憲法を違反するような国会議員は
次の選挙で落選するべきだが、安倍総理は選挙に強く
落選しないので、どんどん勝手にやる。
憲法の『鎖』なんて気にしない。
国民なんて気にしない。

こんな総理に、一定の支援者がいることが非常に怖く思う。
改憲派の団体は、憲法9条の改正を訴えているが
最終的には『個人の尊重』『男女平等』を変えたいという
見方が強いと聞いた。
家の夫・男が強い古い伝統『家長制度』に賛成している方々。
女・子どもに人権があると面倒くさい。うるさい。
全て俺に任せろという…現政権のようだ。

安倍総理は、自分が死んだら「日本なんて関係ない」で
済むが、私には、子どもたちがいる。
自分の子どもじゃなくても、子どもはみんな可愛いと思う。
この追い詰められた日本で子育てをしなくてはならないし、
生きづらい日本で生きていかなければならない子どもを
どうにかして守りたいを思う。
私たち、小さな人間に何ができるか?
本来、私たちの人権を『権力者から守るための憲法』を
変えて本当に国民にとって良いのか?
決して他人事ではない。

長くなったので…2回に分けます(笑)

一旦ここで終わりにする。急いで続きを書くつもりだ。

この憲法カフェに行った日の夜、
実家で私の実の兄に会った。兄の息子も一緒だった。
遠くに住んでいて海外出張も多く、なかなか会えない兄だ。

義理の姉(兄の奥様)は、今、妊娠中で、お留守番。
お腹の子は男の子だという。ちなみに私のお腹の子も男だ。
兄が言った。
「こんなに男ばかり増えて、戦争でもするのかね?」
何だ!?その発想は!?兄の言葉とは思えない。
びっくりしてうまく答えられなかった。理由を聞くと
「俺の周辺は男の子の方が断然多い」という。

男が多いと戦争が始まるのか??軍隊を作るために、
お国から「男を産め」とでも言われているのか?
本来は男女の産み分けはできないから
理論上は赤ちゃんの性別の可能性は半々になるハズである。
たまたま兄の周辺に男の子が多いだけかもしれない。
そのあと、話は流れて(流して)しまったが、兄には
憲法の話をするにちょっと気が引けた。

今、それを反省している。
憲法カフェの先生に、「現政権を変えるには身近な人、
親兄弟を説得して、安倍総理が応援している人には
地方選挙で投票しないでほしいと訴えること」だと聞いた。
安倍総理を直接落とすことはできないから、
地方選で負けさせることによって、大きな流れを作る。
でも野党もまとまらないし、
対抗できる候補者がいるかどうかも難しいところだ。

「私、こう考えているの。この人に入れてくれる?」と
身近な人に訴えることは、日々の人間関係だ。
旦那には、なんでも話せるが、親兄弟は難しい。
日本人はあまり積極的に政治の話をしない、
政治の話をしにくい日常なので、難しいようにも思うが
せめて私の親・義理の親には話をしてみようと思う。
子どもたちの人権を守るために。

 

次回予告;子どもと憲法・子どもと貧困などをまとめる。

個人の尊重と、学校現場のギャップで思うこと

個人の尊重は、教育でも一番大事!

この話を書こうと思ったのは森の測定室で借りた、
飯能市での前川喜平さん講演会DVD
『子どもの未来をひらく教育』を見たからだ。
前川さんは、前文科事務次官を務めた人らしい。
私は前川さんと聞いてピンとこなかったが、
DVDを見てたら旦那に「前川さんじゃん」と言われ
ニュースでも話題になっていた人だとやっと分かった。

前川さんご本人のことは置いておいて、、、
DVDの内容で共感できた部分と学んだことを紹介したい。

まず個人の尊重については非常に共感した。
憲法では、一番に『個人の尊重』が大事だとしている。
個人は『国(集団)』よりも尊重されるべきものだと。
『教育を受ける権利』は、自ら学習できない子どもが
大人に対して学ぶ機会を求めるものだ。
誰でも、学ぶことは、生きることと同じ位の価値がある。

学校の『役割』は「“自ら”学ぶ力をつけさせること」だと
前川さんは言う。勉強を教えることではなく、
生活習慣や、規則を身に着けさせるものでもないのだ。

主体性!主体性!!と、叫ばれて、学校では授業に
『総合的な学習の時間』や『アクティブラーニング』
『強調学習(ジグソー法など)』を
取り入れなさいと言われるようになった。
総合的な学習の時間は『自分たちで考えて議論する場』。
本当に、これらは子どもの主体性を尊重しているのか?

子どもは先生から用意された授業内容を、
やれと言われるからやる。話し合えと言われるから
話し合う。子どもは“自ら”話し合いたくてしているのか?

子どもらが自ら議論(話し合い)をするとしたら、それは
授業中ではなく、休み時間や放課後になるのではないか?
子ども同士の話し合いは突然始まるし、『何について』の
議題を決めることなく、ざっくばらんに意見が交わされる。
その休み時間の熱量のまま、授業時間になった場合、
担任の考えでそのまま議論を続けさせてくれれば
その授業は“主体的に”議論することができるかもしれない。
チャイムの音で、子どもの習慣として、ふと冷静になって
いつも通りの『授業』になることもあるかもしれない。

“私が”、授業でグループワークを“したい”ときは
生徒の主体性云々というよりも、お互いに質問し合ったり
説明し合ったりして理解が深まるときがあるからだ。
生徒に聞くと、班で話し合って良かったという意見と
もうやりたくない(話し合いが広がらない)意見とがあり
班によって全然異なる結果になることもある。
それはそれで良いと思う。(最終的には全体でまとめる。)

授業で主体性を!!と言うならば、『時間割』をなくして
自分で学びたいときに学びたいことをやるべきではないか?
学校では、時間割やチャイム、校則、部活で、生徒を
ガッチガチに縛り付けて…子どもの主体性はどこへいく?

学校現場で思うこと

学校は、個人よりも集団が重視されがちである。
学校生活を円滑に進めるために…。
時間を守る・校則を守る・あれはダメ・これもダメ。
始業式に、各クラス前から順に制服&頭髪チェックなど…
規則を守らせる生徒指導は、私には全くできない!
自分が緩~い高校生活を過ごしたから(笑)
もっと生徒の自由にさせたら良いとさえ思う。

私の高校は、地元の公立女子高だったが非常~に緩かった。
ほぼ全て、生徒の自主性(?)に任されていた。
制服はあったが、Tシャツ・パーカー登校OK、
茶髪もいたし、私も友達もピアスを開けていた。
休み時間に近所の和菓子屋さんにイチゴ大福を買いに行く。
それでちょっと授業に間に合わなくても
「ごめんなさい」で済む学校(汗)
修学旅行は、各日、京都のホテルに帰ってくれば
どこに行ってもOK。大阪のUSJでも、奈良の法隆寺でも、
神戸の異人館でも、広島の厳島でも…どこでも。
もちろん事前に、班で練った『予定表』は提出している。
文化祭も、体育祭も全て生徒任せで、大いに盛り上がる。
学校で「もっと勉強しなさい」と1度も言われなかったな。
自分達が、やらないといけないと思ったことは自らやる。
思えば、母校の先生方は寛大だった。
今では、厳しくなってしまったと聞く。残念だ。

今の教育は『生徒への面倒見が良い』ことが
良いことだとされているようにも思う。
面倒見が良いことは本当に良いことなのか?
面倒見の良いこと=一人ひとりチェックし指導すること
=子どもを管理すること=
子どもを大人の思うようにコントロールすること…?

私は、もっと子どもに任せても良いと思う。
子どもでも、しっかりと自分の意見をもっている。
高校生にもなれば、主張できる力もある。
子どもには「自分の生活に関わることについて
意見を言うことができる権利」が保証されている。
子どもの権利条約にて)

『面倒見が良い』ではなくて、
一人ひとりの『個性』を大事にすることが望ましい。
子どもが自分らしくいられる場をつくりたい。
他人と違って、それで良いと思える学校。
学校は、すべての生徒に安心できる場であるべきだ。

そうならないのは、、、なぜか…?学校はチームだ。
たくさんの教員がいて、各先生方でも意見は異なる。
部活動1つとっても、生徒全員にやらせたい先生と、
やりたい人だけやればよいと思う先生がいる。
私は全員にやらせるのは“強要”だと思っている。

全ての意識を『集団<個人』に変えることは難しい。
校長まで上りつめれば変えられるかもしれない。
でも、最終的には、現場の先生の意識だ。
“学校文化”は、それぞれの教員とその生徒で
長い時間をかけて作られる。だからこそ変化しにくい。

教育機会確保法について

この法律は、不勉強なもので、私は知らなかった。
前川さんのDVDを見て初めて知った。
簡単に言うと、義務教育を受けていない人、
以前および現在、不登校の児童・生徒、
海外から日本に働きにきて学びたい人等に
学ぶ機会を保証するものらしい。

 この法律では、不登校特例制度というものがあり、
不登校の子どものため…なんと!
『学習指導要領によらない教育が認められている』
という。ということは、自分で学びたいことを
学びたいときに、自由に勉強できる!
時間割も自由、座席も自由、
学校外で学ぶ機会を認めるということ。
法律で、不登校を認めるということ。

不登校は、子どもにとって必要な休養で
休養する権利を認められた訳である。知らなかった…。
不登校は、学校に適応できない子どもがなると
言われているが、子どもに問題があるのではなく、
そもそも全ての子どもに安心した環境を提供できない
学校側に問題がある。

そして、だれでも、不登校になる可能性がある。
学校が安心できないから。
学校に自分の居場所がないから。
ウチの子どもたちも不登校になってもおかしくない。
私は「本当につらいなら学校なんて行かなくてよい」と
いう考えで、ウチの子どもたちにもそう言うつもりだ。
不登校に罪悪感を感じる必要はないと思っているが
実際、「学校にいけない自分は悪い子」と思う子もいる。
この法律で、不登校は『悪いこと』ではないと
認めてもらえたことになる。

この不登校特例制度でつくられた公立学校は、
まだ全国に4校程度しかないという。
多くの地域で必要とされているのに、
教育委員会レベルでは十分に利用されていない。
滑川町も他人事ではない。
ぜひ比企地区・東松山含めて、ご検討願いたい。

最後に…

生徒には寛大になれるが、ウチの子どもには沸点が低い私。
ここまで、長々と主体性の重要性を訴えてきたが、、、
実は先日、ウチの子につまらないことで怒ってしまった。
「今日の給食はうどんだったから、夜はうどんヤダ」と。
その日は朝から「夕飯は焼きうどんにしよう」と思って
ご飯すら炊いてなく、帰宅後に温めるだけにしておいた。
が、先ほどの発言。

こっちは仕事で疲れている。今からご飯を炊く時間はない。
子どもはお腹すいた、早くしてと言っている。
焼うどんだから、ご飯のおかずの準備はしていない。
もう~、私の小さな心の器が、ひっくり返って…
つい怒ってしまった。。。本当に器が小さい。
子どもが泣いたのを見て、すぐに反省して、謝った。

結局、その日は、前にたくさん作って冷凍しておいた
炊き込みご飯のおにぎり。冷凍庫にあってラッキー☆
あと、急いで作った適当なおかず(笑)

…子どもの主体性を認められるのも、
大人に大きな器がないとできないなと思った次第です…。

NPO作り途中経過と、子ども食堂の悩み…

NPO作りの途中経過☆報告

もう少しで、目標の10人!

NPO設立には以前にも書いたが、最低でも10人必要。
私含め10人は、正会員として年1回の総会(話し合い)に
参加してもらうことになる。
あとは、月1回の子ども食堂に当日ボランティアとして、
参加できる人が、参加できるときに、
各自できることをしてもらおうと考えている。

NPOを言い出したときには本当に人が集まらなかった。
強引に勧誘させてもらったママ友もいる…申し訳ない(汗)
強引に誘った方も含めて4人集まったところで
簡単な準備会をした。自宅で子どもを遊ばせつつ、
定款・設立趣旨書・事業計画案・活動予算案などを
見てもらった。
この時の疑問を後日、川越比企地域振興センターで確認。

準備会の次は、メンバーを10人集めて
設立総会をしないといけないという。
図書館ボランティアのときや、森の測定室、ご近所さん、
ウチの子が通う保育園などで『NPO一緒にしませんか』と
いう内容の紙を配ってみたところ
7~8人参加してくれることになった。
今は色々立て込んでて、時間が出来たら参加すると
言ってくださった方もいた。

目標までにまだ数人足らないので
もう少し頑張って声をかけてみようと思う。
今年(2019年)4月までに設立したいと考えていたが
設立が間に合わなくても、
4月から今のメンバーでできる範囲でスタートしてみたい。
参加表明してくださったメンバーの皆様、
お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします。

子ども食堂を4月から始めたい理由

4月は、年度が変わり、入学・進級など
新しいクラスになかなかなじめない子や
学校に行くのがつらい子などが出てくる時期だと思う。

4月に子ども食堂(子どもの居場所事業)を始められれば
地域の大人や、違う学校の友達とも知り合える可能性がある。
色々な人がいて、色々な考えがあり、
「こんな自分でも受け入れてくれる人がいる」と
思ってくれるかもしれない。
今まで話をしたことがない友達にも
子ども食堂に行ってみようよ」と声をかけてくれる人が
いるかもしれない。
子ども食堂で新しい友達との出会いがあるかもしれない。
学校、家庭だけでなく、地域にも安心できる場所があれば
新しい心の拠り所になることができるのではないかと考える。

子ども食堂の悩み=場所がない

子ども食堂をしたいと思って11月役場に相談に行ってみた。
役場の担当の方は、子ども食堂が出来そうな場所として
各地『集会所』か『文化スポーツセンター』があるという。
森林公園駅周辺の住宅地に近いところが良いというと、
「そしたら、みなみ野集会所の方がいいかな~」と。

「みなみ野集会所を借りるにはどうしたら…?」と聞くと
「みなみ野の区長さんに連絡してください」
「区長さんの連絡先を教えていただけますか?」と聞くと
「HPに載ってますので、自分で調べてください」

早速、家に帰って町のHPで調べてみた。
すると区長さんのお名前はあったが電話番号はなかった!
連絡できないじゃ~ん。。。
1月現在、まだみなみ野の区長さんにたどり着かず(笑)
私の地区の区長さんの電話番号はわかったが
(区長さんどうしは横のつながりがあるらしい…)
年末年始忙しいだろうな~と思って気が引けて
まだ電話をかけられていない。
もう7日は始業式なので…いつ電話しようか。。。

さて次にウチの近所の民生委員さんにも
どこか子ども食堂を開く場所はないか聞いてみた。
具体的に『松山開拓 都会館』の2階はどうか聞いた。
「都会館は厳しいよ。冷暖房なし。水道はあるけど
トイレは下に行かないとないよ。
衛生面的にも厳しいよ」とのこと。

「みなみ野集会所はどうですか」と聞くと
自治会の集会所を、他の地区・団体の人に貸すのは
断られることもあるよ」という。
理由は「自治会費から集会所の光熱費や運営費なども
出ているから」と。

団体のメンバーにみなみ野の人が居れば
貸してくれる可能性もあるが、いないと厳しいらしい。
あとは、みなみ野の区長さんに相談するしかないと。
今のところ、メンバーにみなみ野地区の人はいないから
厳しいかもしれない…。
どなたか…みなみ野地区の方、NPO入りませんか?
ご連絡お待ちしてます!

他に「借りやすいのは、文化スポーツセンターの2階。
ここは町の所有だから貸してくれるよ」とも
教えてくださった。
文化スポーツセンターだと高速道路の向こう側。
子どもが一人でも来られる場所を考えているため、
住宅地からやや離れてしまうのは、悩む。。。
でも借りやすいから、
とりあえず、ここでスタートするのもアリだ。

最後に…

駅周辺の住宅地に近くて、安く借りられて
たくさんの人が集まれて、キッチンとトイレがあって
きれいで、駐車場があって、、、という
理想の場所はどこかにないかな。
もういっそ、自分で都かみなみ野周辺に土地を買って
建てるしかないかな!?(笑)

NPO滑川町子育て隊(仮)を一緒に作りませんか?
ご連絡お待ちしております。
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ウチの子ども(幼稚園児)を理系にするために、こっそりしていること(笑)

理系ってなんだ!?『不思議に思う気持ち』

小学生のころは、どんな教科でも、分かれば楽しい。
特に、小学校の算数や理科は、身近にある内容なので
実は小学校時代は、算数・理科が好き・得意だったという人は
多いのではないかと思う。

算数嫌いや理科嫌いが増えるのは、
小学校高学年~中学校にかけてか…と、勝手に思っている。
算数では割合、理科では月の満ち欠け・電気など
抽象的な内容になり、難しく感じる生徒が増えてくるのだろう。
高校に入学した時には、既に理科が苦手という人は意外と多い。

小学校の先生は、文系の先生が比較的多いので、
高学年の算数や理科は教えるのが苦手だという先生もいる。
私自身が小学生のとき、分数の割り算で
「なぜ逆数を掛けるのか」理由(しくみ)を教えてもらえずに
「こうするんだよ」と、やり方だけ教わった。
今の小学校教育では、こんな教え方はさすがにない…と思う。
算数や理科を教えるの得意だから!という先生も多いし、
大きい小学校なら理科を専門に教える先生がいることもある。

「自分が理系か・文系か」をじっくりと考えるのは、
高校生になってからの人が多いのではないだろうか。
高校だと、授業を選択するときに、決めなければならない。
理系では数学や化学・物理・生物を多く選択することになるし
文系では古典、日本史、世界史、倫理などを選択するだろう。

ここで選んだ科目は後々の大学受験にも関わってくる。
大学に入ってから、やっぱり学びたいことが違った場合は
文系・理系を変え、転学する人もいる。
就職の際には、理系・文系関係ない職種も多い。
法学部・薬学部・工学部などは専門職につくことが
多いと思われる。

さて、 自分が生物を教えていて大事だと思うことは、
「自然って実は、超面白いんだけどな~」ということ。
身近な自然現象をただ楽しむ。不思議がる。
さらに自分で「なんでだ?」と思うこと。
間違いでも良いから自分の知っている知識を使って考える。
この「不思議だ→なんでだ?」が科学的思考につながる。
理系には欠かせない思考のベースとなる。

この身近な不思議を味わってもらうために
私は気づいたときに、子どもにいろいろと声をかける。
例えば「今日のお月さまは大きいね」「今のお月さまは白いよ」
「ばあばんちは、霜柱があるよ」「ウチは霜柱できないね」
保育園に行く寒い日の朝には「口からもくもくでてるよ」と。
すると子どもたちからも気づいたことが返ってくる!
「今、ママが干した洗濯物からも、もくもくしてる~!」

言葉掛け以外に、していること

ウチの子たちは習い事はしていない。
家ででき、簡単で、お金がかからないことだけを行っている。
ケチなので(笑)

外遊び!!

外遊びとは言っても、散歩や庭いじり、畑仕事も含める。
花を植えたり、草むしりをしたり、じゃがいもを掘ったり。
自然にたくさんふれあい、泥だらけになることで
子どもにしか気づかない発見もある。

また、外遊びでは『空間認識』能力が身につく。
数学でいうと図形・立体や速さの問題に繋がると思う。
例えば、かくれんぼ1つでも、どこだと見つかりにくいか
相手から見えにくいかを、自分で考えて探す。
立体的に、俯瞰しながら公園を認識する。

ごっこでも、この速さなら相手に追いつくなとか
こっちは無理だから、逆から追い込もうとか
遊びに熱中しながら、たくさん考えている。

散歩では、ここからここまではどれくらいかかるかを
知らずのうちに認識している。
友達の家まで歩いて何分だから、自転車だと
何時に出れば間に合うななど考えられるようになる。
速さの感覚も身につく。

絵本で科学を楽しむ

絵本もたくさん読んでいる。
科学を楽しむ絵本で有名なところでは、『かがくのとも』

www.fukuinkan.co.jp

これは本当にお勧めで、大人が読んでも楽しい。
子どもに身近な不思議がいっぱいつまっている。
幼稚園児にはちょうど良い長さの絵本だ。
もっと小さい子も楽しめるのは『ちいさなかがくのとも』。
小学生になってからは『たくさんのふしぎ』。
毎月買うと、家の中が絵本であふれてしまうので
滑川に引っ越してからは滑川図書館で借りている(笑)
最新刊は借りられないが、その前の絵本は借りられる。
あと、残念ながら『ちいさなかがくのとも』は
滑川図書館には置いていない。

科学的な考えをする絵本作家だと思うのは、
ヨシタケシンスケさん。例えば

りんごかもしれない

りんごかもしれない

 

1つのりんごを色々な角度で考えて、分析している絵本だ。
考えが広がる。思考が1つにとらわれない。
非常に科学的で、大人も楽しめる絵本だと思う。
ヨシタケさんの絵本は、どの絵本も
ついつい私が興味をひかれて手に取ってしまう(笑)

トランプ・ウノ・オセロ

これらは、ばあばが上の子にこっそり教え始めた。
家でもやりたいと、ウノとオセロも用意した。

ウノ UNO カードゲーム B7696

ウノ UNO カードゲーム B7696

 

3歳から『7並べ』にハマって、ババの使い方もバッチリ☆
『ババ抜き』『神経衰弱』『たこ焼き』…
最近では『スピード』もする。
まだ4歳なのでスピードはゆっくりだが。

数遊びも楽しいみたいで、ばあばが「4+3は?」と聞くと
喜んで答えている。
私はもっと遊びらしい遊びで良いと思っているが
ばあばなりに、孫を理系にしようと企んでいる。
個人差があって、下の子3歳はまだ『ババ抜き』も怪しい。

他にも一緒にお料理したり(子ども包丁を使う!)、
お菓子を作ったり、お風呂を洗ったり、
クリスマスツリーを工作したりなんでもさせてみる。
身近な体験が多いと、文章からイメージできるので
読解力にもつながるのではないかと思う。

最後に…

自分なりにこっそりしていることを書いてみたが、
最終的には、親が子どもをどうこうしようと思っていても
その通りにならないのが子どもだと思う。
子どもは生もので、私とは全く別の人である。
特に自分の子どもの子育てが一番難しいと思っている。
理系・文系に進むかは、子どもが自分で判断すればよい。

また、どっちを選んだとしても
それで人生がすべて決まるわけではない。
理系だから幸せなんてことは全くないし、
理系・文系を途中で変えても良いし、
一度就職しても転職したり、大学に行きなおしたり…
そもそも就職するかどうかも分からない。
子どもの人生、長い目で見れば色々ある。
大事なのは子どもが『自分で決める』力をつけること。

ここまで書いてやっと気づいた!
実は単に私が楽しいからやっているだけ、なのだ。

森の測定室・滑川に行った話

森の測定室って?

いつも滑川町の図書館駐車場へは東側の入り口から入る。
(役場側の入り口ではなく、エコミュージアムの方の入り口)
陸橋から図書館へ行く途中、右手に『森の測定室』がある。
以前から気になっていたが、開いている日が週に1回しか
ないため、なかなか行くチャンスがなかった。

役場や図書館などにも、ここのチラシが置いてある。
『測ってみようかな♪キッチンのとなりに 森の測定室・滑川』
という小さいパンフレットと、ともに
『子ども未来通信 2018春夏』があった。それによると
森の測定室は、毎週水曜日、10:00~16:00に開いている。
ここでは土壌や野菜などに含まれる放射能が測れるという。

どんなところなのだろか、ますます気になる。
気になる~と思っていたら、ママ友が行ったというので
色々教えてくれた。
放射能を測定している。
・子どもも遊べるものが置いてある。
・無農薬の野菜も売っている。
・色々な活動をしている方々が集まっている。
なるほど、これは行ってみるしかないなと思い、
つい先月…初めて訪れてみた!

「まずは知ること、そして考えること」

11月末、役場と保健センターに行かなければならない
用事があって、仕事を早めに切り上げて役場に向かった。
用事を済ませたあと、まだちょっと時間があったので、
水曜日だしこれは行けるか?と思い覗いてみることにした。

森の測定室にはちゃんと駐車場があって
車が何台か止めてあった。
ドアの近くには『OPEN』の看板が出ている。
もうすぐ閉まる時間だし、ちょっと覗くだけ…と
何も持たずに(笑)、そのドアを開けてみた。
入ってすぐ、声をかけてくれたのは素敵なお姉さん。

「始めて来たのですが…」と言うと、
「誰かの紹介?どうぞ、中に入って」と言われたので
お言葉に甘えて中も覗かせてもらった。
その時にママ友に紹介してもらった話をすると、
「○○さん?そうなんだ~」とすぐに理解された様子。
お客さん一人ひとりの名前を憶えていてくれることは
それだけでも好印象だった。

中に入ると『放射能測定器』を見せてもらえた。
百ウン万?するという高額の測定器だ。
周りには箱が並べてあって精度を上げるためらしい。
まだ放射能はどれくらい検出されるのか聞いてみたところ
「原木シイタケを測定したら検出された」と教えてくれた。
あと土はいまだに放射能が検出されるとも…。
保育園と協力して土や落ち葉、草などの検査も行うらしい。

さて、ここの測定室は2011年の東日本大震災後に作られた。
放射能が心配なママさんたちが集まって
地域で協力してできたものだという。
始めは週3回開いていたが2017年から週1回に変わったそうだ。
今も検体をもっていけば測定してもらえる。
一般の方は1検体2500円。食品は30分、土・灰は20分かかる。
農業関係者、福祉施設の定期測定には割引もあるらしい。

さて、閉店間際に覗いたにも関わらず、
丁寧に対応してくださったお姉さん。
お姉さんだと思っていたらお孫さんまでいらっしゃって
非常に驚いた!!お若い!!
ついつい居座って長くおしゃべり(という名の情報交換)を
してしまった。

そのとき森の測定室のお姉さんの言葉で印象に残った一言だ。
「やみくもに怖がるのではなく、
まずは勉強して調べて学んで、それから自分で判断する。
これは大丈夫、これはやめた方がいいかななどの
自分なりのラインを見つけられれば良い」と。

11月以降、頻繁に顔を出させてもらっている(笑)

魅力的な方々に会える!

森の測定室の一番の良さは、
魅力的な方々にたくさん会えることだと思う。
まだ滑川に引っ越してきて2~3年なので、
知らないことが多い。滑川町やその周辺に
どんな方がいて、どんな活動をしているのか…。

今まで3回しか行っていないが、
(いや、この12月だけで充分行きすぎかな。)
会えた方々を書いてみる。
・森の測定室のボランティアさんたち
滑川町の議員さん
・無農薬の農家さん
・ガラス工芸の職人さん
・某大学の先生のお友達さん
東松山の珈琲工房の店主さん
・古民家ギャラリーの店主さん…などなど多数。
時間の都合でちょっとしか会えなかった方も、
測定室のお姉さんが丁寧に紹介してくださり感謝だ。

また、ここで会う皆さん、気さくに話しかけてくださり
様々な活動をされているので話を聴くだけで楽しい。
つい長居をしてしまう(笑)
前向きに活動している方に会えると元気をもらえる。
勉強になる。今後も顔を出していきたいと思う。
お姉さん、お世話になりま~す!

最後に…

色々な考えがあることを前提に…自分の考えを書く。
私は『放射能』という言葉が嫌いだ。
授業中に(このときは化学を教えていたが)放射能
話をしたことがある。
福島から来た人に「放射能がうつる」と言う謂れのない
いじめがあり、テレビなどでも話題になっていた頃だ。

授業では「放射能放射線をだす能力(性質)のことで、
人間には放射能なんて能力はありません。
放射能は全くうつりません!」と皆に教えた。

簡単な説明しかできずに申し訳ないが、放射能は、
ウランやプルトニウムなどの放射性物質がもつ能力で、
これらの物質がα線β線などの放射線を出して
別の安定した物質(元素)に変化する。

危険なのは、この放射性物質そのものと、
放射性物質が出す放射“線”である。
例えばある人の洋服に放射性物質がついていれば
周りもその人も放射線を浴びる危険があるが、
放射性物質がついてなければ、その人は安全である。
避難して埼玉にきた人の洋服に、今、放射性物質
ついているとは考えにくい!放射能なんて全くない!
また、放射性物質が風で飛ばされてきたら
福島だけでなく埼玉でもどこでも危険な可能性がある。

あと、ついでに…
実は日常で放射線は浴びているという話も付け加えた。
自然放射線として、宇宙からも大地からも出ている。
X線検診を受けたり、飛行機に乗ると更に放射線を受ける。
一人あたりの自然放射線量(年間)2.1ミリシーベルト(以下略)
胸のX線検診0.06、飛行機旅行(東京~NY間往復)0.08~0.11。
(数値は日本原子力文化財団より)
世界基準の年間被ばく量の限度は、年間1ミリシーベルト
(平常時・自然放射線や医療によるものを除く)とされている。
これは健康に害を及ぼすか否かを示す基準ではなく
できるだけ放射線を受けないことが望ましいことを示す基準だ。
放射線について学び、自分で判断することが大事だと思う。

この授業の後に、福島から避難してきたという生徒が
泣きながら今までのこと話をしてくれた。
本人ではなく友人が別の学校でいじめられていたこと。
また別の生徒は「将来、放射線技師になる」と宣言し、
本当に放射線技師になるべく進学していった。
大事なのは『学ぶ』こと、そして自分で考えることだと思う。
これは高校生でも大人でも同じだ。
森の測定室のお姉さんの言葉は、私もそう強く思った。

ちなみに…教員採用試験は生物ではなく『理科』として受ける。
私は今、理科のうち、生物を中心に教えているが、
教員の人数と授業時間の関係で化学を教えることもある。
でも、物理と地学はさっぱり分かんないけどね!

器が小さい人間でもリーダーになれる?

私はリーダーに向いていない

私がリーダーに向いていない理由を挙げてみる。
まず、私は『調子のり夫』である。すぐに調子にのる。
しゃべりだしたら止まらない。
いつだったか(子どもを産む前の話だが)
職場の飲み会に行く直前の私に、旦那が一言、
「手に“調子に乗るな”って書いときな」と。
私が調子にのって、何か、しでかさないように(笑)
旦那は、こんな私の言動が心配だから
「いい加減にブログをやめて」とも言っている。

あと小学校低学年の時の話。意外と先生の一言は忘れない。
国語の授業中に「やんちゃな馬(?)」がでてきて
「やんちゃってなに?」との質問に、担任の先生は
「“やんちゃ”っていうのは●●(私の名前)みたいな馬だよ」と。
あの、先生~、他に男子もいますが…、私ですか?と思った。
学級委員や生徒会長とか憧れて立候補したけど
一切…なれなかった(笑)人望がない。
自分はリーダーにはなれないのだと悟った小学生時代。

最近の話では教員免許更新講習でやったグループワーク。
ある問題(クイズ)を、初対面の8人で協力して解く。
問題を解く過程において、グループのメンバーが、
どういう言動をしたか(皆をまとめた、記録をした等)
つまりどういう人なのか、考えさせるために行われた。
たくさんのタイプがあって、自分以外のメンバーが
どのタイプに当てはまるかを考え発表する。例えば…
看護師・医者・DJ・お花屋さん・マジシャン・指揮者
野球選手・ガイドさん・研究者…などたくさんあった。

これによって、それぞれが自分では気づかない強みに
気づくことができたり、こういう一面もあると思えたりする。
私は「ガイドさんタイプ」と言われることが一番多かった。
情報を正確に集めて、周りに伝えていると。
情報収集は、もはや趣味である(笑)
そして指揮者のように皆をまとめる力はない。

行動力はあると思う。思い立ったらすぐ行動!
なので、思慮が浅く、後々困ることが多い。
(現在も、実は自分の行動で困った状況に陥っている…)
もともとの器が小さいので、すぐにいっぱいいっぱいになる。
以上の理由により、リーダーには向いていない。
しかし、ある本に出会ってリーダーの印象が変わった。

リーダーは誰でもなれるもの?

私は、大の漫画好きである。
生徒からも流行りの漫画を借りて読むことすらある(笑)
高校生の恋愛モノはもう読めないがそれ以外は何でもOK。
ウチの学校の図書館には漫画がたくさんあって
理解のある司書さんで非常にありがたい。

さて、その図書館に置いてある大好きな『宇宙兄弟』の隣に
たまたま発見したこの本。

宇宙兄弟 「完璧なリーダー」は、もういらない。

宇宙兄弟 「完璧なリーダー」は、もういらない。

 

宇宙兄弟』の話はここでは省かせていただくとして、
この本を読んでみると、
こんなにリーダーに向いていない私でも、
リーダーになれそうな気がしてきてしまう。
漫画の内容とリンクさせながら、
主人公のリーダーとしての素質を紹介しているので面白い。
今までは主人公をリーダーとして見ていたわけではないので
振り返って読み直してみると、
必要に応じて重要な声掛けをしている。
この本の中で、私の心に響いた部分を簡単に紹介する。

リーダーとは、生き方や働き方のハンドルを自分で握っている人のこと

 リーダーシップを発揮すれば誰でもリーダーになれるという。
リーダーシップとは、何か?
チームや組織のポジションに関係なく、だれでも発揮できるもの。
リーダーシップはどうやって発揮されるのか?
「~したい」と意思表示をすることで、発揮される。
その「~したい」という意思をもとに、チームの合意形成や
意思決定が行われていく。
例えば「休憩したい」と言ってチームが同意して
休憩時間がとれればそれはリーダーシップを発揮したことになる。

つまり、リーダーは常に固定された人物ではなく、
チーム全員がリーダーであり、状況に応じて
誰もがリーダーシップを発揮できるとしている。

なるほど「~したい」なら得意分野だ。
「~すべきである」という考え方だとやらされている感じが
するが、「~したい」をもとに行動すれば前向きになれる。
これなら気負わずにできる。

5人のチームなら、リーダーは5人。『無敵』な考え

チームのメンバーで、発言力の強さに優劣はなく、
リーダーシップのバトンを全員で回すことで
「競争」ではなく「共創」を生み出すことができるそうだ。
まさに全員がリーダーだとしている。 
賢いリーダーが陥りやすいのは「主導権争い・マウンティング」。
争いは共感を生まないし、協力や協調を生まないという。
私も勝ち気なところがあるので気をつけたい。
人に頼ることも大切だし、チーム内の誰もが平等でありたい。

あと「そもそも最初から敵などいないのだ」という考えも
非常に参考になった。
何かうまくいかないことがあると、つい誰かのせいにしたり
環境や時代のせいにしがちだが、
これも一種の敵をつくる行為だという。
漫画の中で主人公は『俺の敵はだいたい俺です』と言っている。

確かに、敵だと思った人は、本当は敵ではなく、
ただ意見が異なるだけかもしれないし、
相手にも何か事情があったのかもしれない。
敵なんていないと思えば、強くなれるかもしれないと思った。

命を託せるリーダーが大切にしているもの

この本の筆者は、コミュニケーションとは
「集団の中での情報の流通」だと考えており、
相手を知ろうと観察することも1つのコミュニケーションとなる。
たくさんの時間を共有し、お互いの様々な側面を理解することで
この人はこういう人だと安心感もでてくる。

コミュニケーションの量が増えれば増えるほど
誤解されるリスクは減り、
逆に理解してもらえるというメリットが増えていくらしい。
独りよがりにならず、周りと話し合い、
協力することが大事だと分かった。

あと、これは漫画で出てきた内容だが、
チームの輪が乱れて主人公が困ったときに
「宇宙の話をしよう」とメンバーに促す場面がある。
皆がイライラを抱えて、身動きが取れなくなっている中
皆の共通の話題で、前向きになれる声掛けをする。
会話を通して、お互いが信頼感を取り戻せることを学んだ。

ここからは自分の考えになるが、
できればコミュニケーションは顔を見て行いたい。
私はガラケーで携帯がなくても、普段は全然困らないが
ラインを始めてから状況が少し変わった。
ラインのコミュニケーションが増えると、
その人がどんな思いでその意見を言っているのかが分かりにくい。
表情や声のトーン、話すスピード、しぐさでも
観察すればもっとその人を知ることができる。
なかなか職場の人以外と、顔を合わせて話す時間が
減ってしまっているが、直接会って話がしたい。

最後に…

私はリーダーには向いていない。
でも子育ては一人ではできないと気付き、
周りと協力してともに育てていくということを選んだ。

今、自分の行動でちょっと困ったことになっていると書いた。
いや困っているというよりは、
私の小さい器が、いっぱいいっぱいになっているだけだ。
自分を含め、周りの悩んでいる方をどうにか助けたい、
また子どもたちのために…との思いで始めた行動である。
この困った状況を解消するために、また、動いている。
皆をまとめることは私には力不足だし、
意見がすれ違うことも多いが、考えが違うのは当たり前だ。
それぞれ違う中で「子どものために」という意識だけは
共有していきたいと思う。
コミュニケーションは質より量だ!たくさん話して行こう。

あと、先ほどの困った状況とは全く別の話で、、、
地域子育てNPO作りに参加してくれると言ってくれた皆様、
こんな私ですが、今後ともよろしくお願いします。
メンバーの皆がリーダーと言えるNPOを目指します!

言葉づかいと方言で思うこと

生まれも育ちも熊谷ですが…

私は生まれも育ちも熊谷である。
自分は方言なんて使っていないし、
なまっていないと思って生きてきた。
高校は地元の女子高だったが、
高校生時代に良く使っていた言葉は「微妙~」と
「あ~なるほどね」を意味する『あ~ね』くらいであった。
後に方言だったと知ったが「そうなん」など「~なん」という
言い方は方言だったらしい。が、その程度である。

それが、群馬の大学に入学したことで一変する。
大学の先輩との交流会では、
群馬弁ってあるのかという話題になり、
「~だべ」とか「~なんさ」が群馬弁だと聞いた。
例えば「ご飯行くべ~」とか「そうなんさ」とか…。
これが言いやすいのなんのって!

もともと「~なん」は使っていたのが「~なんさ」になると
肯定文でも使えるようになる。どういうことかというと、
「どこか遊びにいくん」は疑問文。相手に聞くときに使う。
「どこか遊びにいくんさ」は肯定文。
自分がどこかに遊びにいくという報告をしているのである。
なんて便利な方言なんだ(笑)これでいつでも使える。

群馬弁になれて自宅でも「~するべ」とか言っていたら
弟に「姉ちゃんどうしたの?そのなまり方!」と言われた。
弟から見るときっと私はなまっていて、おしゃれでもないし
理想のお姉ちゃん像・理想の大学生活とはかけ離れていただろう。
まぁ、全然痛くもないですけど(笑)

社会人の言葉づかいと、方言

さて、なまっている私が就職先に選んだのはシンガポール
シンガポールにある日本人対象の学習塾である。
生徒は、北海道から九州まで色々な出身の子たちが集まる。
そして、駐在員のお坊ちゃま・お嬢ちゃまたちである。
帰国して、良いところの私立に中学受験・高校受験する。

私は大学卒業後(実際には卒業前には働いていたが…)に
社会人経験もない状態で飛んでしまったので
常識もなければ、言葉遣いもできていない。
言葉遣いは、国語の先生方にさんざん直された。
生徒の前ではそのままでも良い、でも親御さんの前では
きちんと話せと。一応、できる努力はしてみたが…、、、。
非常に優秀で高学歴なパパ・ママさんたちで厳しかったな。

生徒からは「先生って元ヤンなんでしょ?」って聞かれた(笑)
いやいや、言葉遣いが悪いのはもともとで、
男兄弟に挟まれて育ったため「うるせー」「きたねー」は普通。
いや~、このころは若かった。未熟だった。
3年程そこで働いていたので、退職時には他の先生方からも
「あなたのキャラだから許されたんだよ」と言われた。
別の先生からは「生徒から愛されたからよかったんだね」と。
最終的には親御さんの信頼も得られたと思っている。
私ご指名で、進路相談・生活相談をしてもらえる関係になっていた。

さて、言葉遣いも悪く(親御さんの前では努力しましたよ?)、
べたべたの方言を使う私が、ある方言で衝撃を受けたことがある。

事務作業をしていたときのこと。
玉出身の先生と、千葉出身の先生と、神奈川出身の先生がいて
「そこの封筒は、まだノリなびってないです」と言ったら
「え?なびるって何?」と言われた。え?通じない?
浜っ子(死語…)の女性の先生にはさっぱり通じない。
埼玉の先生も知らないという。
他の先生がわざわざネットで調べて関東周辺の方言だとわかった。
埼玉でも北部…熊谷周辺や、茨城などでも使うらしい。
生まれて初めて『なびる』が標準語ではないと知った!

教員と、方言

さすがに教員として働くようになってからは
「うるせー」などの汚い言葉はあまり言わなくなった(汗)
が、方言はよく出ている。
授業での説明の際に、「~ということで、~なんさ。」で
終わるとすっきり言い終わった感じがある。

方言ネタ(なびる等)はよく年度初めの授業で
自己紹介がてら、やったりするが意外と生徒にうける。
でも熊谷周辺だよ~と言うと驚かれる。
群馬弁も埼玉弁もそんなに変わらないと思うが。

生徒は、電車の上りを使うか(田舎からくるか)
下りを使うか(都会からくるか)をよく意識している(笑)
今は滑川に住んでいるというと「田舎じゃん」と言われる。
いや、ふじみ野あたりも住んでいたが、
駅から離れると、滑川とそんなに変わらないと思うが…。
なかなか高校生も可愛い。

今の学校でも、前の学校でも方言を使って授業すると
『温かい』感じがするといわれた。
優しい人に見えてくるらしい。
これは意外とラッキーだ。生徒の懐に入りやすい(笑)
でも校長先生・教頭先生が、授業を見に来るときに厄介だ。
ついつい普段の癖が出て、
なまるし、生徒の名前の呼び方もいつも通りになるし。
校長先生は元国語教師なので、注意された(汗)

あと、つい癖で、授業中に自分のことを「ママ」という
恥ずかしい失敗をしたこともあるが、
これも意外と皆笑ってくれて、好評だった。

最後に…

自分が子どもを産んでから、ウチの子が汚い言葉遣いを
していたら嫌だなと思い、気を付けるようにしている。
子どもは親や周りの人の言葉をよく聞いて、真似るからだ。
きっと私の母親も、この言葉遣いの悪さは嫌だっただろう。
母親は口は悪いが、言葉遣いは悪くなかった。

でも、子どもは大きくなるにつれて、世界が広がり、
友達の影響も受ける。汚いこともたくさん言う。
それは、それでいい。
もっと大きくなって、自分で判断すればよいと思う。

ついてにウチの子どもの話。
下の子が、夕飯の小さく切ったお肉をパパのお皿に1つずつ
移していたので「何してるの?」と聞いた。
すると「お肉パパに入れてるの」との返事。
可愛い言い方だったので、同じことをもう一度聞いてみた。
「お肉を移してるって、言ったでしょ」という。
3歳児が小さいスプーンでちまちま移している様子に
ほっこりした。

…上の子はというと、
この間、トナカイとシカの違いを教えてくれた。
「トナカイとシカは同じなんだけど、
空を飛べるのがトナカイで、飛べないのがシカ」
だ、そうである。まもなく5歳。
ふたりとも、急がずゆっくり大きくなってね。